人命が関わってくる仕事をAIに代替することに関しては、どう考えればよいでしょうか。たとえば、最近話題のAIによる自動運転が、その一つです。ふつうの人が運転する時間を1日に平均1時間と考えると、1年で365時間ですから、2万時間の運転を経験しようすると50~60年もかかります。追突した、車体を擦ったといったミスや事故も、50年間で何度か経験することはあっても、それほど多くはないでしょう。AIの場合は違います。人間の1時間の運転データをクラウド上に保存することで、2万人でも10万人でも(つまり、2万時間、10万時間に相当)、その運転データが瞬時に手に入ります。こんなケースで衝突する、擦る、危険にめぐりあう、ヒヤリハット、といったデータが多数集まります。AIの場合、データをこのように瞬時に嵩増しできますので、AIを使った自動運転のほうが1人のドライパーに比べて圧倒的に経験量が多く、確率的には人の運転よりもずっと安全性に優れているはずです。しかし、それは統計的確率の話なので、「100%の安全」をAIにだけ求められると、その保証は永遠に付けることができません。つまり、「わずかにでも残る危険率の部分」に対し、人が許容できるかできないのか、という問題が、AIでは常に出てくるのです。「AIは100%安全といえるのか?」 という質問には、将来にわたっても「No」としか答えられません。考えてみると、現実問題として航空機事故はゼロではありません。交通事故は年間47万件(2017年)も起きていますが、人はそれでもその100%ではない安全性を信じて利用しています。その一方で、仮にAIにのみ100%の安全性を求められてしまうと、AIの導入は遅れていくでしょう。「AIとは精度を上げていく技術なんだ、特別な技術ではない、神ではない」という意識をもって使っていけるかどうか。もちろん、システムを二重化することで安全に運用する、といったことは通常業務の中でもやっていますが、それでも100%保証は永遠にできません。「AIによる自動運転とは、こういうものなのか」 という温度感のようなものを認識し共有していくことが、そろそろ必要な時期に来ているのかもしれません。

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